ゆらめく資産の記録

カンブリア宮殿のひふみ回。投資とは自立であり、未来であり、希望である

テレビがないのでブラウザで見ました。次回の番組放映日までは無料公開されるようです。

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社内が土足厳禁の会社なんてあるのか、というのが一番驚いた情報でした。自主的にサンダルやスリッパに履き替える人は何度か見たことありますが、自宅兼事務所でもないのにオフィスが土足厳禁ってなぜ……。まあ藤野さんが言うように自宅感に包まれたいという欲求がそうさせるのでしょうが、それならそれでスーツもやめて私服にすればいいのでは、とか不思議が深まります。

番組後半に会話があるんですが、適当に抜書するとこんな感じです。必ずしも原本に忠実ではなく省略などが入っています。

  • 「このスタジオだってこの机だって誰かがリスクを取ったからここにある」
  • 「『投資は悪』はそもそもありえない。根本的に投資とは未来であり希望」
  • 「『失われた10年』『失われた20年』という受動態での表現は私以外の誰かのせいだという意識がある。要するにこれは自立していない。投資というのは何かっていうと自立で、自分の未来を自分で切り拓くことがとても大切。そういうのを広げていきたい」

僕はまだ自分の投資哲学のようなものを持つほどではなく、資産運用の一環として投資をしているに過ぎません。というか、投資哲学を確立し、それで成功できるのは投資家の中でも上位1%未満とかでしょう。僕は別に投資家として大成したいわけではないので、たぶん中途半端な投資家として泡銭を稼いで喜ぶのが関の山です。

ただ、経過をすっ飛ばして運用成績だけを追い求めるよりは、そういう自分なりの投資哲学というのか、投資観というのか、そういうものをしっかり持つことで回り回って運用成績が改善することはあるはずです。そこまでの境地に達するともう投資というのは自分の哲学を実践するための表現手段であり、なるべく長く大きく続けるためにも、自分の哲学の真善美を示すためにも、運用成績がボロボロであってはならないからです。儲かったうれしいというような浮薄さとは気負いが違う。

繰り返しになりますが僕は投資家として大成したいわけではないので、自らの思想に基づいて投資するのではなく、自らの予測や期待に基づいて資産を運用するのみです。時に節操もなく勝ち馬に乗り、予測と期待の区別もしないまま買い進めて終始落ち着きがなく、不必要な売買を後悔しながらもトータルがプラスになるならそれでいいという堕落した道を歩いていくのみです。もちろんトータルがマイナスになった際には悔い改めることになりますが、それもまた未来の話。